何も言うことが出来なかった。 ただその場から逃げたくて、逃げ出して、電話もメールもしないで。 俺は彼女を愛しいと思っても彼女の全てを受け止めきる自信を持つことが出来なかった。 所詮俺は、逃げているだけだ。 |
| The fourth day |
一睡も出来なかった、というわけではないけれど。 むしろ普通の人にとってはたっぷり寝たくらいかもしれないけれど。 それでも俺にしてはよく眠れなくて、目を閉じても思い浮かぶのはちゃんのことだけで。 ちゃんは困ったような、寂しい笑顔で俺に笑いかけて言うんだ。 病気なの、って。 治らないんだ、って。 死んじゃうんだ、って。そう、言うんだ。 それがとても悲しくて、痛くて。 それでも俺はどうすることもできなくて。 どうしようもない無力感が襲ってくる。 時刻は10時ぴったり。 昨日はこの時間にちゃんからオハヨウのメールがあって、ご飯食べて、家を出て、一緒に植物園に行って。 楽しい思いのまま、また明日ね、って笑顔で手を振って別れられれば良かったのに。 突きつけられた現実は想像以上に残酷で。 俺はそれを受け止められるわけもなく。 結局、全部聞かずに逃げてきてしまったわけだけど。 「…最悪だ、俺。」 自分の不甲斐無さに吐き気がする。 俺はちゃんが好きなはずなのに、どうしてちゃんの全てを受け止められないんだろう。 今日を入れてあと4日間の命なら、その間精一杯楽しい思い出、沢山作ればいいのに。 それでも会いたくない。 いや、本当は会いたい。 でも、会ったらまた逃げ出してしまいそうで。 だけどまた逃げたら、ちゃんはきっと、あの脳裏に浮かんだような痛いくらい悲しい、寂しい笑顔を俺に向けて。 それから、本当に"バイバイ"って、そうなっちゃうんだろうな。 そんなのは悲しすぎるし、後味も悪いし、何より俺は俺自身を許せないわけで。 そのくらいなら会わなければいいんだって自分に言い聞かせても、それでもやっぱり会いたくて。 会いたいけど、会いたくなくて。 会いたくないけど、会いたくて。 ああもう、頭の中がぐちゃぐちゃだ。 なんだかもう考えるのが面倒になってきて。 こんなスッキリしない想いなんて初めてで、どうしていいかもわかんなくて。 結局、俺は服を着替えて携帯を片手に家を出て。 母さんがご飯食べないの、って言ってるけどただ、いらない、って短く答えて。 意図せずとも自然に公園に向かう。 ちゃんと初めて会った、あの公園に。 いるはずないと思っていても、どこかで期待する気持ちもあったんだろう。 俺は結構単純だから、物事ってあんまり深く考えないけど。 だからかもしれない。 公園に行ってみて、ちゃんがいなかったらそのままお別れしよう。 それはとても寂しいことだけど、悲しいことだけど。 一緒にいて、もっともっと好きになって、本当のお別れの悲しみを感じる前に別れてしまうのもいいかもしれない。 それは、俺だけが一番楽になる方法なんだし。 もしも公園にちゃんがいたら。 俺は、全てを受け止めよう。 本当のお別れの悲しみも、きっとそのあとに残された俺の虚しさも。 それはきっと、俺もちゃんも一番悲しくて辛い方法なんだろうけど。 比較的単純な俺は、そのどうしようもない賭けに全てを委ねてみるのもいいかもしれない、なんて。 そんな単純な方法で全てを決めることにした。 「う…さみぃ」 いくら急いで出てきたからと言っても、流石に12月に上着なしは寒すぎた。 寒さを紛らわすために走ってもみたけど、なんだか途中で飽きてちゃったし。 (ああ、俺ってやっぱりバカなのかな) 空を見上げれば、晴天とは程遠い灰色だった。 雲が流れているのかすらわからないような、ただ灰色一色。 風はひゅうひゅうと音を立てて通り過ぎて。 針みたいな冷たさの風は、コートとか上着のない俺には寒すぎたけど。 今はもう葉の無い、裸になってしまった桜の木が俺を見つめている。 公園が見えてきて、その先には桜並木に隠れた病院がある。 俺がいつも見ていた、ちゃんがずっといた病院が。 俺がいつも見ていたあの部屋にはちゃんがいて、俺がいつも見ていたこの景色をちゃんは上から見つめていたんだ。 それを考えると、なんだかくすぐったいような気持ちになった。 ああ、もうすぐ公園に着いてしまう。 自分で決めた賭けだけど、それでもやっぱり不安で。 決心が鈍りそうになる。 決めたことは変えたくないのに、怖いからやめた、ってことになりそうで嫌だな。 公園の手前で一度足を止める。 ああ、怖い。怖くて怖くてたまらない。 別に約束をしたわけでもないし、ちゃんがいるっていう確証も無い。 それに俺は昨日逃げてきてしまったわけで、例えちゃんがいたとしてもそれはすごく気まずいことになりそうで。 ああ、また混乱してきた。 やっぱり俺は、深く考えることが苦手みたいだ。 一度、小さく深呼吸して。 覚悟を決めて、公園へと最後の一歩を踏み出す。 この賭けにアタリもハズレもきっとない。 それでも俺はもう一度ちゃんに会いたくて、やっぱりあんなおしまいは嫌で。 だからきっと、俺はちゃんがそこにいることを望んでいたんだ。 「あ…滋郎、くん?」 いた。 滑り台の上に座って、膝に子猫を抱いていたちゃんは、驚いたような声で俺の名前を呼んで。 それは昨日のよりもずっと心地よくて、俺は自分の立場も考えずただ嬉しくなって。 ああ、やっぱりいたんだ。 いてくれてよかった。 「……おはよ、ちゃん」 ちゃんがそこにいたということは、俺は一番辛くて悲しい道を選んだということになるのだろう。 それでも、ちゃんと少しでも長く一緒にいることが出来るならいいかなぁ、なんて。 (ああ、俺って現金なヤツだなぁ) 「昨日はごめんね、逃げちゃってさ」 「ううん、いきなり病気なんて聞かされたらびっくりするよね…ごめんなさい」 俺は病気だってだけでちゃんを少しでも恐れて、偏見して、ある意味見下して。 そして現実を避けて、逃げて。 それでもちゃんは笑いかけてくれるって、きっと心のどこかで思って、期待してて。 それが本当になって、すごく嬉しいんだ。 「ねぇ、ちゃん。聞かせて欲しいんだ、ちゃんの病気のこと。ホントのこと。 ちゃんのこと全部…俺に、教えて。」 俺はどうしようもなく単純な賭けに全てを委ねてみたけど、結果はきっと自力で出したとしても同じだった気がする。 俺はちゃんの病気も、お別れの寂しさも、そのあとの虚しさも、その全ての辛さも全部受け止めたい、ってただ純粋に思っていて。 それは甘い戯言かもしれないし、奇麗事かもしれないけど。 それでも俺はちゃんが好きで、だからもっと知りたくて、受け止めたくて、楽しさとか悲しさとか痛さとか、出来るだけ同じものを感じたくて。 きっとそれは不可能だけど、そんな甘い期待もしていたくて。 これは間違いなく俺の選んだ道なんだ。 賭けとか自力で出した答えとか、そういうことは関係ない。 俺はこの道をちゃんの手を引きながらゆっくり、でも確かに進んでいく。 それはとても短い時間かもしれないけれど。 例えそれが、茨のような道だとしても。 |