街は変わらずにきらきらと輝いている。
風は変わらずにひゅうひゅうと冷たく吹いている。
サンタさんは奇跡なんて起こしてやくれなかったし、世界は何もなかったかのように動き続けている。
俺のこの腕にはまだ、ちゃんの体温が暖かく残っているというのに。



       The eternity days   



ふぅ、と俺が軽く溜息をつけば、みんながぎょっとした表情で振り返る。
滝はどうしたの、と心配そうに問いかけてくるし、岳人は眠いのかと茶化しながらも心配してくれる。
「どーせなんか悪いもんでも食ったんやろ」
ビールの缶を片手に笑って言う忍足だって、熱でもあるんじゃねぇの、と言いながら額に手をあててくる宍戸だって。
「お水と薬もらってきましょうか?」
立ち上がろうとしてる長太郎も(絶対俺が悪いもの食べたって決め付けてる)、怪訝な顔をしてる日吉も、ブランケットを出してくれた樺地も。
みんな、俺が溜息をついただけで不審に思って心配してくれる。
俺が溜息をつくなんてよっぽどのことだ、って。
だって俺は毎年、こうやって大晦日にみんなで集まったら必ず騒ぐだけ騒いで眠って、除夜の鐘が鳴る頃に無理矢理起こされていて。
そうしてみんなで一緒に初詣に行くんだ。それが、"いつも"の俺達の年越しだった。"いつも"の楽しい年末で、新年だった。
「どうせ酒飲んで眠くなったんだろ」
ビールの入ったコップに口をつけて、跡部はそれを一口飲み込みながらちらりと俺を見た。
どきりとする。何やってんだ、って跡部の蒼い瞳が言っていた。
俺はへへへ、と口元を笑みの形に歪める。
いつもどんな口調で話してたっけ。ええと、確か。
「へへーアトベせーかーい!騒ぐの楽Cーしお酒美味Cーし、なんか眠くなっちゃってさぁ…」
ふあぁ、と大きな欠伸をすればみんなはまた笑い出す。
「お前が眠いのなんていつものことだろー?」
「驚かせんなよー」
みんな、また、笑い出す。
お酒が入って気分がよくなると、普通の会話でも普段の数倍騒がしくなる。
最初は普通にジュースで乾杯、から始まったはずなのに、いつの間にかビールやチューハイが入るようになったのはいつからだったろう。
大体最初に酔いつぶれるのが宍戸で、次が岳人で、そのあとが俺で。俺が寝たあとのことは知らないけれど、多分滝と跡部は最後まで飲み続けていると思う。
日吉は俺が潰れる頃にはまだジュースを飲んでいるけれど、起きると必ず手にチューハイの缶を握っている。
(中学生なのにお酒を飲むなんて、と言っている日吉のジュースに誰かが焼酎でも混ぜているんだ。多分。)
美味しいお酒を飲んで、跡部の家のシェフが作った美味しいおつまみを食べて、騒いで、笑って。
それはとても楽しいものだけれど、それでも俺は今年だけは心から楽しむことが出来ない。

今、みんなの中にあるのは楽しいっていう気持ちのはずだ。去年までの俺と同じように。
今、俺の中にあるのは楽しいっていう気持ちと、ちゃんだ。去年とは違って。

今でも俺の腕にはちゃんの温もりが残っているというのに、俺が純粋に楽しめるはずがないんだ。
(だって悲しいんだ。どうしようもなく悲しいんだ。)

そしてみんなの中にはちゃんはいないんだ。誰の中にもいない。俺の中にしかいない。
ちゃんを知っているのは、俺と跡部だけ、だ。
(俺と跡部の二人の中にしかちゃんはいないんだ。)


ふぅ、とまた溜息が出そうになったのを堪えて、無理矢理欠伸に変える。
ふぁ、と俺にとっては不自然な欠伸がひとつ、出た。
「ふあーねっみぃ……ちょっと眠気覚ましてくるぅ〜」
「外で寝るなよー凍死しちまうぞ!」
んー、とひらひらと手を振って、そのまま庭へと出る扉を開ける。
ひゅう、と冷たい風が入り込んで、ぶるっと身震いした。
跡部の家の庭では昔よく遊んだから、ここからテニスコートへ行く道も簡単にわかる。
何より今はこの広い広い庭をゆっくり一人で歩きたかった。
(本当はちゃんと二人で、歩きたかった。)



「なぁ、ジローのヤツ遅くねぇ?」
岳人はいちご味のチューハイをぐびっと一口飲んで、庭へと続く扉をじっと見つめた。
「そうですね…出て行ってから30分も経ってますよ。確かにちょっと遅いんじゃないですか」
「まさかほんまに寝とる、とか…」
「……で、でもいくらジローさんでもあんな寒い中寝るわけ…」
「………慈郎、だぞ?」
宍戸の言葉に全員の動きがぴたりと止まる。
長太郎はさっと青褪めて、誰か見に行った方がいいんじゃ、と慌てる。
じゃあ俺行く、と立ち上がった岳人を迷子になるからと忍足が止め、宍戸を見る。
「宍戸が行けばええんやない?ここの地理わかっとるやろ」
「お前は跡部ん家を何だと思ってんだよ…」
呆れながらも宍戸が立ち上がろうとすれば、じゃあ俺も、と当然のように長太郎も立ち上がる。
なんでお前も来るんだと騒いでいる二人を尻目に、滝はくすくすと笑ってからそうだ、と思いついたように跡部を見た。
「跡部、行ってあげたら?」
「…なんで俺が。」
眉間に皺を寄せて不機嫌を表す跡部に臆することもなく、滝はにこりと微笑んだ。
「気になるんでしょ?さっきからドアの方、ちらちら見てるし。」
「……。」
「ここ、跡部の家だろ。」
瞳を泳がせて言いよどむ跡部に滝が駄目押しをすると、はぁ、とわざとらしい溜息と共に立ち上がった。
しょうがねぇな、と言い近くにかけておいたジャケットを羽織り、扉を開ける。
ひゅう、と再び冷たい風が入り込む。
アイツはテニスコートにいる、と跡部は根拠もなく思った。
「俺がジローの奴を連れてくるまで酔い潰れんじゃねーぞ」
「わかってるって。いってらっしゃい」
パタン、と閉まる扉の向こうではまた笑い声が起きはじめた。
はぁ、と息を吐けば目の前は一瞬だけ白く曇り、すぐに空気に溶ける。
「……きれーなもんだな」
ふと天を仰ぎ見ながら、跡部はぽつりと呟き、テニスコートへと足を向けた。





やっぱりここか、と跡部は溜息をつく。
テニスコートの片面、丁度手前側の真ん中で慈郎は寝転がって天を見上げていた。
ゆっくりと近づく。足音を消しているつもりはなくても、慈郎は跡部に気付く様子もない。
ただ、天を見上げていた。

「…そんなところで寝ると凍死するぞ。それともあの子の所にでもいくつもりか?」
「……あー、あとべだー。」
跡部の言葉にびくりと心臓が震えたのはひみつ。
俺は上から覗き込んでくる跡部の瞳をまっすぐ見ることが出来なくて、ふっと瞳を伏せた。
そのまま暫く沈黙が続く。
いやな、沈黙。
ちゃんといる時には感じたことのない、重苦しい空気。
跡部はきっと全てをわかってる。
(だから、時々すごくいやになる。)
いやな空気に耐え切れなくて、ついに俺ははあぁ、と深い溜息をついた。
人前でこんなに重い溜息をついたことなんて初めてかもしれない。
「……ねーあとべ、さっき俺、おかしかった?」
「ああ、大分な。心配してたぜ、あいつら。…落ち込むのは勝手だが、詮索されたくないならそれなりに隠せ。」
俺はうん、と言ったつもりだけど、言葉が掠れて上手く伝わったかわからない。
跡部は軽く溜息をついて、俺の隣にどかっと腰を下ろした。
俺はやっと瞳を開ける。目の前に闇色と星と月が広がった。
横目で跡部を見ると、跡部も空を見上げていた。首が痛くなるほど、まっすぐに見つめていた。
「……きれーなもんだな。」
「うん。」
「まさか自分の家からこんなにキレイな空が見えるなんてな。思ってもみなかったぜ。」
空は本当にきれいで。
きれいで、きれいで。
きらきら輝く金色の、つき。
深い深い闇色の、そら。
ぽつぽつ輝く銀色の、ほし。
きれいで。きれいで。
ゆっくりと瞳を閉じれば、隣にはちゃんがいる。
耳を塞げばちゃんの声がする。
『綺麗だね、慈郎くん。』
唇を撫でれば、まるでちゃんに口付けているみたいだ。
腕には柔らかな感触と温もりが残っていて。
鼻腔をくすぐるあの甘いシャンプーの匂い。
左手に残る、細いシルバーリング。
「……こうやってね、二人で空を見てたんだ。二人で、手、繋いで。」
「…クリスマス、か?」
「うん。」
もう一度、瞳を開ける。
きれいな そら。
でも隣にはちゃんがいない。
もう一度、瞳を閉じる。
まっくらな やみ。
でも隣にはちゃんがいる。
(俺はずっと瞳を瞑ったままでいたい)
「…悪かった、な。来たかったら来い、なんて言って。まさか、……死ぬなんて」
「あとべ。」
跡部の言葉をわざと遮った。
聞きたくないんだ、そんな言葉。
謝らないで。俺に謝らないで。
俺はぎゅっと瞳を閉じる。ちゃんの笑顔が浮かんだ。
「あとべ。ちゃんはね、いなくなってないんだ。ずっとずっと、俺と一緒にいるんだ。ここに、いるんだよ。」
「……慈郎」
跡部の声は聞こえてる。でも、瞳は開けない。
瞳の裏側、暗闇の中のちゃんは笑顔だ。
「一緒に遊園地に行くんだ。一回だけ一緒に行ったカフェにも、毎週行くんだ。映画も一緒に沢山見るんだ。一緒に初詣に行って、ずっと一緒に入られますように、ってお願いするんだ。」
「…慈郎」
跡部の声が少し荒くなる。でも、瞳は、開けない。
暗闇の中のちゃんは笑顔だ。
「俺がテニスしてるとこ、もっともっと見せてあげるんだ。一緒に遊んで、夏には海にも行く。冬はスキーにも行くし、…それから、それから春。春は…あの桜並木で、桜を見て」
「慈郎!」
跡部のいらだった声が聞こえても、瞳を開けることは出来ない。
暗闇の中のちゃんは、少し悲しそうに笑った。

胸が痛い。

「………わかってるよ。もう、いないってことくらい。」

好きだった。本当に好きだった。否、今でも好きだ。好きで好きでどうしようもない。
瞳を閉じればいつでも隣にちゃんがいる。
携帯に入ったちゃんからのメールは全部保護してあるし、二人で撮った写真もちゃんと残ってる。
朝起きて携帯を見て、ちゃんからメールが入っていないことを確認するたびに悲しくなる。
胸がしめつけられる。苦しい苦しい苦しい。
悲しくて、苦しくて、とても寂しい。
口にすると本当にちゃんの存在が全てなくなってしまいそうで、怖かった。今も、怖い。
「わかってる。ちゃんはもういない。でもしょうがないじゃん。…かなしいんだ」
「……」
跡部はただ黙って聞いてくれる。
何を言うでもなく、何をするでもなく、ただ聞いてくれる。
こんなのは反則だと俺はいつも思う。
何も言ってくれない。ただ聞いてくれる。
だったら俺は全て言ってしまうじゃないか。
(すごくすごく、救われる)
(でも俺だけこんな幸せになってしまっていいの?)

「悲しいよ。あとべ。信じたくないよ。だって、俺の腕にはまだちゃんの温もりが残ってるんだ。瞳を閉じれば、笑ってるんだ。しあわせだったよ、って、笑ってるんだ。だけど叫んでるんだ泣いてるんだ。助けて、って。笑顔の裏で、助けて、怖い、って泣いてるんだ。……放って俺だけしあわせに、なれない。」
左手のシルバーリングを右手でぎゅっと握り締める。
ちゃん。ねぇ、ちゃん。
君は本当にしあわせだったのかな。俺と一緒にいて、しあわせだった?
薬を飲んだことを後悔していない?俺を一緒にいる相手に選んで、後悔していない?

「あいつは言ったんだろ?お前が好きだって。しあわせだって。」

『慈郎くん。……すき。すきなの。だいすきなの。』
ちゃんの声がする。暗闇の中のちゃんは、笑った。
今までとは比べ物にならないほど、しあわせそうに笑った。

「…言った。」
ゆっくりと瞳を開ければ、隣で跡部が俺を見て微笑ってる。
柔らかく、慈しむように笑ってる。
「あいつは幸せだったんだよ。他の誰でもない、お前と一緒にいて。」
きらきら輝く金色の月。
深い深い闇色の空。
ぽつぽつ輝く銀色の星。
ちゃんと見たかった綺麗な、夜空。
ちゃんと最後に見れた綺麗な、雪の降る空。
どちらも比べられないほど綺麗な、空。
もう一度ゆっくり、ゆっくりと瞳を閉じる。
ちゃんが、しあわせそうに笑っている。
頬を涙が伝った。暖かい涙だ。きっとこの涙はちゃんのものだ。
暗闇の中のちゃんが笑って言う。

『ありがとう、じろうくん。わたし、しあわせだよ。すごく、すごく。』

心の中で、言う。俺もしあわせだよ。ちゃんと一緒にいられて、すごくすごく幸せだった。すごくすごく、しあわせだ。
人を本当に好きになるってどんなにしあわせなのか、わかった。
世界が輝くんだ。きらきらと輝くんだ。ちゃんと一緒に入るだけで、空気が柔らかくなった。きらきらと、輝いていた。
言葉じゃ言い表せないくらい、すきだ。しあわせだ。すごくすごく、すきで、すごくすごく、しあわせ。

「…ねぇ、あとべ」
「ん?」
頬の涙はもう乾いてるはずなのに、何故か冷たいとは感じなかった。
暖かかった。まるでちゃんに優しく抱きしめられているみたいだ。
「やっぱりちゃんは、ずっと俺と一緒にいるよ。……ここに、いる。」
そっと左手で胸のあたりをぎゅっと握る。
左手の薬指には、ずっとずっとシルバーリングが光っているんだ。
きらきらと、色褪せることなく。